なにかいやなことがあったわけではないけども
人間関係はエゴの押しつけ合いだと思う。
そして人と人は分かり合える訳がない。
人と人が関係を持つのはあくまで線と線が交差してるようなイメージだ。
違う長さを持つし、違う傾きを持つ。
しつこいようだが、人と人は分かり合える訳がない。
じゃあ家族や恋愛関係にある人間関係は何だ。
それは近いようで一番遠い存在だと俺は考える。
通りすがりの名前の知らない人間の方が何でも話しやすかったりしないだろうか?
それはありのあまの自分だ。
だから俺は孤独死は肯定的に受け入れたい。
しかし、入院して死ぬ上において孤独というのは拷問だと思う。
おそらく気が狂ってしまうだろう。
少しずつ自分の死に近づいていくくらいなら、誰かに殺された方がまだ楽な気がする。
一瞬で終わるのだから。
格差社会とその中で勝っていく方法
現代社会において日本は、確実に格差がある社会だと思う。
それは収入の面において、意外にも顕著にあらわれつつある。
男に生まれたからには性欲とは確実に向き合っていかなければならない。
俺は恋愛至上主義が得意でないし、結婚が絶対の幸せなんて微塵にも思わない。
しかし、性欲が満たされるかどうかというのは多くの男にとって幸せの非常な大きなファクターだと考えている。
男女関係はこの世の縮図である。
若いころに特技があったり、容姿が整っている男は、初めからある程度女性との縁があり、その経験を生かしさらにモテるようになっていく。
成功体験がよりさらに成功を呼び寄せるというわけだ。
そして悲惨なのがこの逆である。縁がないやつはますます縁がなくなっていってしまい、次第には自信喪失に陥る。
この構図でどう戦っていくか、というのが問題である。
素晴らしいことに、男性というのは生まれ持ったスペックが女性で人生に左右されない。
ほとんど後天的な要素でカバーできてしまう。
周りの流れに支配されず、常識にとらわれず、自信を構築していく。
これが格差社会での差別化であり勝っていく方法だ。
人と比較しないで、地道にステップアップしていく。
いい彼女に出会うには
私は普段はかけだしナンパ師として活動している。
ナンパをしていると普通に生活をしている人の数倍の出会いがあり、いろんな女性と知り合うことになる。
みんなが付き合いたいと思う女性は、わりと集中する。
綺麗な容姿、信頼できる恋愛観、正しい経済観。
実は先日、ナンパで知り合った彼女に浮気をされた。
彼女のスペックをよくみてみよう。
容姿はどこか薄汚れている。信頼できる恋愛観はない。浪費壁は育った環境からか少ない。
全体的に評価は低いわけだ。
これをナンパしていくうちにスペックが高い彼女に切り替えていく、ということが理論上は可能だ。なぜならば数倍の出会いがあるからだ。これをすすめていきたい。
他人との向き合い方は自由だ
人に嫌われたらどうしよう、そんなことしてたら地獄に落ちるぞ、このような人に対して誠実に接していないといけないみたいな文化があるけど、これってどうなのだろうか。
この人とは縁を切りたいから切った、この人とはかかわりたくないから関わらなかった。これっていけないことなのだろうか?
自分に素直になって生きて何が悪い?俺は昔からそう思う。
人としてこうあるべきだとかほざく人間は一番害悪だ。エゴの押し付け。
親の価値とは
自分は今まで家族という言葉に吐き気がするくらい家族が嫌いだった。
一時期は家族というシステムが、時代遅れだと主張していたことすらある。
それは違うと今は言いたい。不景気により家族を育みにくい時代にはなった。
しかし、家族というシステムが廃れたわけではない。
むしろバブル期などに起こったベビーブームで増えた家族というのは、本来家族を作るべきじゃない人間すら家族を作っていた、と自分は考えている。
自分が中学高校時代に住んでいた家の前に保育園があった。そこでは子供が雑に扱われ、子供に投げ入れられているような子を毎日目にした。その時、どれくらいこんなにひどい親が世の中にいるのだろう、と思った。
僕はたびたび自分の親がケチだと思うことが多々あった。買ってほしいものが買ってもらえなかったり、今も大学の留年費用は請求されているし、生活費まで請求されそうな勢いだ。かといってうちは貧乏なわけではない。こういう時、なにかを出し惜しんでいるような感覚を覚える。虐待などはされたことはないが、もし独り立ちしたらあまり顔は見せるのは面倒だなぁ、という感覚だ。
僕はなぜだかいろんなところで俗に言うメンヘラと呼ばれる類の女の子と仲良くなることが多い。彼女たちは、大体家庭が複雑だ。その結果精神疾患を患ってしまうというわけだ。そういう子たちの話を聞いていると、ここでも世の中の親はいかにちゃんとしてないかがはっきりわかる。
親ってなんだ?結婚ってなんだ?家族ってなんだ?
自分が結婚をするとなったとき、今まで自由に生きてきた時間が自由に使えなくなるということをまず思う。その次に子供が生まれたらもっとそうだ。
しかし人間には様々な側面があり、一つしか側面がない人間なんていない。
会社員をしている、お父さんをしている、またはパパをしている。。。
父の日、母の日というものがある。自分はあれが大嫌いだったし、今も好きではない。
なぜならば半強制的に何かを買ってこさせたからだ。
せめて、感謝したくなるように接するのが筋ではないだろうか?
だからこそ、僕は言いたい。
親の価値というのは、子供が本心から「この家に生まれてよかった」、と言ってもらえるかどうかで決まると。そうじゃないのは、親が個人としての自分を優先させたからだ。
少し引いてみた結果
あちらから連絡が来るようになった。成功だ。むしろちょっと返すのが面倒なくらいに(笑)
実は自分からばかり女性に連絡を取っているという悩みは
中学のころからあった。
これが確実に克服できてきている。去年の彼女も放置することで気をこちらに思いっきり傾けることができた。
これが経験となり、当たり前のパターンになる。
猫ヒモ理論はやはり実現したし、押して引くとはまさにこのことだ。
やはり客観性
まるで自分のことを他人事のように考える。
私は何度もこのことの大切さをこのブログで説いてきた。
ギャンブルにおいてもかけている金額を知ると、勝負には出れない。
いま私は俗にいうメンヘラと付き合っている。
俺はすぐさまにメンヘラに詳しい男女両方に相談をした。
俺は男でやはり有益な情報を得られたのは、男からだった。
「メンヘラは構いすぎてはだめだ」
なぜ俺がこの言葉を思い出したかというと、
付き合っているメンヘラからなかなか連絡がこないからだ。
いつも俺から連絡をしている。俺はこの状態を主導権の握られている状態と考えている。ここからの失敗ケースはこのブログにおいても一度書いている。
そう去年の夏のケースだ。
しかしそのさらに二年前、俺は連絡しなさすぎで失敗している。
じゃあどうすればいいのか。
とりあえず連絡を自分からするのをやめる。
そして接触するケースがあれば、猫ヒモ理論だ。ここでもやはりこれが効くとみる。
ナンパ師万々歳だ。
ムードを大切にしつつ、相手を誘惑する。今はこれしか案を思いつかない。
とりあえずこれで臨んでみようと思う。
これが俺の客観的視点から考えた一番いい接し方だ。