救いをください~20代中盤からもがく人生計画~

20代学生ニートだったもの 男 基本的に友達はいない ネットを使って自分が考えたこと、見つけたこと、そして自分の生きた証、自分を見つけられたらと思って書いているブログ

向こう側にいる人たち

こんばんは。

今日は台風明けです。

 

台風が来たことをきっかけに人間関係でまた苦しんだので

記事を書こうと思いました。

こんな内容を書けるのはここしかないからなw

 

そういえば最近若い女の子たちの間で、

誰もフォローもフォロバもせず鍵をかけたツイッターアカウントを

作り、ひたすら人に言いにくいことをつぶやく人が多いだとか。

そこまでじゃないが、このブログもそんな感じのものだろう。

一応、読む気のある人は読めるだろう、くらいの配慮と

後から自分で読み返せる程度の文章にはしようと意識している(笑)

 

さてさて、本題に移る。

このブログを書いてる私はまぎれもなく、

友達が少ないし、社交性もないタイプだ。

こういう人間は、日本に今意外と少なくないと思う。

が、しかし物珍しいというか、

変な目で見られることが多い。

普通に社交性のある人間とは感覚が違ってくる。

全てにおいて。

 

だから俺らの普通っていうのは世間とは相反するものになる。

そして世間は都合のいい言葉で、俺らを形容する。

一時期はそれが「オタク」だった。

そして今はそれが「メンヘラ」になるのかな。

 

ひどいものだと俺は思う。

そして俺らもまた逆に世間を「キョロ充」だったり「ミーハー」

だったりと形容する。

もううんこの投げ合いだと思っている。

 

俺らからすると「キョロ充」やら「ミーハー」

はあまり深く物事を考えていない。

だから俺らが素を出すと、やつらは嫌そうな顔をする。

俺らの感覚で言う「適当」くらいがちょうどいいのだ。

適当に接する。

俺からすると人に「適当」に接されるのは嫌だが、こいつらはどうやら違うらしい。

 

科学は神への冒涜とどこかで聞いたことがある。

神がつくった世界の仕組みを解明するのは

神を信じていないからということらしい。

 

僕は人の事を知りたいとまでは思わないが、知る必要があると感じる時がある。

そういう時、人を疑ったりする。

俗にいう人間嫌いなんじゃないか、と自分のことを思ったりする。

しかし、本当に嫌いだったらそもそも関心がないんじゃ?とも思ったりする。

 

人を信じる人は、そこまではしないのだろうか?

人を「適当に」信じる。

でもそもそもその人のことよく知らないならわからないよね。

人が好きってのはじゃあどういうことだ?

 

もうこうなると訳が分からない。

とりあえず、世の中の人付き合いが「適当」に見えてしょうがない。

まぁ「適当に」やれ、って言われればできるからいいんだけどさ、

ただそれで思うのは、内心人としてその人達を見れないっていうところなんだよな。

それで人を人として俺は見れない。

 

だからみんなサイコパスなんじゃね?って思ったりする。