救いをください~20代中盤からもがく人生計画~

20代学生ニートだったもの 男 基本的に友達はいない ネットを使って自分が考えたこと、見つけたこと、そして自分の生きた証、自分を見つけられたらと思って書いているブログ

世の中の値踏みは残酷だ

こんばんは。

最近寒い日が続いていて、テンションもやる気もあんまりないですけど。。。

 

ニート脱出しました!

というか金がないからせざるおえなかった。。。

 

で、やってる仕事なんですが前クビになった仕事と同じ業務なんですよね。。。

なんでそんな自分に向いてない仕事をやるのかって?

 

もうそれしかなかったからだよ!!!

 

ネタでもなんでもなく仕事をえらべなくなってきます、私w

 

それでやってみているのですが、なんだか少しやっていけそう気がします。

あ、やべえやべえ油断してるとでっかいミスして首になるので、

 

頑張っていけそうな気がします!!!こっちに訂正っと

 

というのも、時給が前の仕事に比べて3分の2で

仕事内容は一緒なのに職場の雰囲気が全然違います。

 

これほどにまでに違うのかと。。。

 

改めてお金の価値とそれを得るための仕事の価値を認識しました。

 

やっぱり厳しい職場というのは、お金が多く発生し、

マイペースにやっていける職場は安いという。

 

もしかしてこれはあらゆることにおいてそうなのでは?と最近思いますね。

 

僕がこのブログでも何度もテーマにあげるナンパにおいてもこれはあるのではないかと。

 

こっちも女の価値(どれくらいモテてきてるのか)というのを把握していますし、逆にあっちもナンパしてきた男の価値をしっかり見てきているのではと。

 

見た目を変えていったり入りのトークを変えていくのもいい手段かもしれないが、根本的なその男の価値ってあると思うんですよね。

 

仕事でいくら稼いだか、というのがその人の全ての価値か?と言われるとそういうわけでもないし、それを武器にしてもあまり強くないと思う。

 

が、しかし、現在の自分が社会の中で生きていくためのスキルはあまりにも弱いのではないか、と自分で思う。

そのため なにをやってもうまくいきにくい。

 

つい最近、街でみたナンパ師たちがこんな話をしていた。

「いや~ブスに声かけたくないっすよ~、あんなの即っても嬉しくもないですからね(笑)」

 

きついことは言いたくないが、そのナンパ師のスペックというのは僕からみてそのブスよりも遥かに低く見えた。

というのも、ナンパをしているとわかることだが、若い女の価値って言うの凄まじいものがある。

ブスでも体を売ってしまえば、管理職くらいの月収は簡単だし、少し社交的な性格であればさえあれば小金持ちに貢いでもらうこともできる。

ナンパをしているとこういうことを女たちは連れ出し先で話してくるのだ。

 

そういった環境にいる女がなぜ、若くて特に特長もないナンパ師とセックスするだろうか?

 

これはもちろん自分に対しての現実でもあるし、ナンパはこれほどにまで厳しいものである。彼がどうこうなのではなく、こういった自分が知らないことに対して見くびることの愚かさを自分は改めて感じた。

 

社会の中で生きていくのは、常に自分の価値を高めることに力をそそぎ、他者を見くびらいようにしなければならない。

 

僕は昔から恋愛が世の中で持ち上げられすぎてる気する

最近の若者は恋愛離れと言われているが、僕ももともと恋愛から離れた生活を送っている人間であった。

たまにナンパをするようになってから女性と関わることが増え、恋愛が身近に感じられるようになった。

 

しかし、昔から私は恋愛が世の中で持ち上げられすぎている気がしてならない。

短く言うと、恋愛過大評価されすぎじゃね?

 

たしかに誰かを好きになって、その人と付き合えることは凄く楽しい。

そういう経験をしたことが私もある。

 

だがしかし、それと同時にその関係が壊れたときや、そこに行きつくまでのリスクは大きくないだろうか?

 

同じ会社内で恋愛アプローチをかけ、失敗したが、頑張りすぎたらセクハラと訴えられてしまうこと。

 

元カノにレイプされたと訴えられてしまったら、男性は闘うことができるのだろうか。

 

結婚慰謝料もそれだ。

 

このようにリスクはかなり多い。

 

後はこれは明確なロジックがないので、強くは主張できないが

 

恋愛依存の人を醜いと思ったことはないだろうか?

 

僕はよくそう感じる。

 

それは恋愛をしている自分が好きなだけであって、相手のことが好きでない場合が多い

から、というかもしれない。でも、恋愛をしている自分が好きじゃなくて、恋愛ができ

るとは思えないし、大なり小なりそういう部分があると思う。

 

やっぱり恋愛は一つの宗教のように、メディアや文化によって持ち上げられなければ、

 

おこらない現象だと思う。

 

まぁ何が言いたいかというと、男性諸君には常に冷静であってほしいということです

 

ね。いいことと悪いことがあるということを認識して、楽しむべき。

 

今年は何か嫌な予感がするのでこんな記事を書きました。(新年厄払い^人^)

 

 

 

 

 

 

基礎を振り返って

ここ最近ナンパでで負けが続いている。

では、ここ最近勝てていたであろう状況を振り返ってみよう。

 

某日のアポ

 

相手が食べ物はなんでもいいと言っているのにもかかわらず、相手の要求を聞いて

店を選んでしまう。

当然主導権握れず、アルコールも使えない。

相手の終電を間に受け、無事死亡。

 

というヘタレメンタルから来る負け。

 

某日連れ出し

勢いでたたみかけ連れ出し。

丁寧にカフェ連れ出し。

ここで勢いつぶれで終了。

 

改善策

これは丁寧にことを運び過ぎたのではないだろうか?

相手がダウナー系(人生に行き詰っている)、弱気の場合は

もう直個室打診でいい。

余計なクッションがむしろいらなかった。

 

某日アポ

待ち合わせになっても連絡がこないハプニング発生。

とりあえずお店へと移動。

ここでむしろギラつきすぎて、拒否反応が出る。

ここでメンタルが揺らいだのか、無駄な会話が生まれ、空気が淀む。

そのあとかろうじて回復し、個室打診に成功するもタイムアップで死亡。

 

改善策

これも同じくダウナー系。

そもそもアポでの個室までの流れの目的は、ゴーサインを引き出すこと。

ダウナー系はそれをはっきりと出さない。

この場合、サインをこっちから積極的にくみ取る方法をしっかりとるべきであった。

時間管理が雑であった。と負け要因があまりにも多かった。

 

基礎を振り返って、

アポの個室までの流れの目的は、あくまで時間内にゴーサインを引き出すこと、としっかり意識しなければならない。

余計な会話は無駄になるし、自分のメンタルが揺らぐ大きな原因となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気付いたらナンパで求めていたものが手に入っていた

彼女だったり、たくさんのセフレではない。

女が男を選ぶ理由や法則がなんとなくだけど、わかるようになってきていた。

これにてナンパでの探究活動はほぼ終了となる。

 

 

自分に気づく

最近思ったんだけど、自分はやはり社交的な人間ではないw

 

人といるとどうしても疲れたり、リフレッシュできない。

土日にパーティーとか団体で遊んでいる人を見ると全く精神構造が違うなーっと思う。

コンプレックスからの解放とか最近のこととか

自分という人間は基本的にダウナーな人間だ。

学校の中でもうまくなじむこともできない、学生時代に満足がいく恋愛経験もできなかった。かといって就職活動で人に自慢できるような成果を得られたわけでもない。

成功体験の乏しい人間だ。

こういった成功体験の乏しい人間(ここでは非リアと呼ぶ)は、同じく成功体験の乏しい人間で集まりたがる。そしてそこに強い結びつきがあると信じ、心地よさを覚える。

僕もそういった経験は多くしてきた。

だが、あえて言う。それはただの傷のなめ合いに過ぎないと。

これは「傷のなめ合いに過ぎない」としっかり認識して関らなければならない。

色々言えることはあるのだが、そこにプラスになることは少ないと一言にしておく。

 

男にとって、モテないということはとても大きなコンプレックスになるのだ。

ある人は自由に女性と関係を持ち放題、またはそのように見えるのに対し、それ以外は一切関係が持てないのだ。

タイトルのコンプレックスからの解放はこのコンプレックスのことだ。

僕はこのコンプレックスを打破しつつある。

 

2,3年前だろうか。僕は大学生時代、好みの女性からことごとくフラれてしまうようなやつだった。そして、そういった痛みを同じような友達と飲みながら語るような、そこらへんにごくごくいるモテない大学生の一人だった。

そこから僕は誰に誘われるわけでもなくナンパに一人でのめり込んだ。

そして少しずつ女性との関係になれていく自分がいた。

そんな中、よくモテないエピソードを語りあった友達は変わらない生活を続け、次第に自分に対して避難すらする者すら出てきた。

「お前そんなことやって楽しいか?」「お前って人間の屑だな」

こういったセリフを吐いてくるのだ。

確かにナンパというのは迷惑行為だ。僕もこの意見には賛成で、ナンパで男を磨け、意識高い系ナンパだとか、真面目にナンパ、とかそういったクリーンなイメージでナンパしている人たちは大嫌いだ。ナンパが迷惑行為だという現実から目をそらしているからだ。

だがしかし誰からもよく思われていきていくことで、何かが得られるだろうか?

僕は得られないと思う。

ナンパをしていることを非難してくる人たちが、本当に正義の味方になっているつもりでその言葉を吐いているだろうか?いや、そうではないだろう。自分にとって何かしら面白くないから批判していると考える方が自然だ。

自分もリア充が可愛いこをやり捨てただの、彼女を乗換えただの話を聞いたとき、

全くナンセンスな主張で批判をしたことがある。こういった事をしたことがある人はかなり多いと思う。だがよく考えてみてほしい。その批判はどこからくる?

 

自分の意志でナンパを続け、今は彼女がいてセフレも何人もできた。別に自分が凄い腕のあるナンパ師だとは思わないし、むしろ成果の出方はかなり遅いほうだったと自覚している。

しかし、ここ最近街を歩くときにあったコンプレックスがなくなってきている。

前まではっきりと感じていた、恋愛至上主義にまみれた街中を歩く自分に、自信が持てている。

何人切りした、だとかは正直自分はどうでもいいと思っている。自分にとってナンパの目的であったコンプレックスの解放が達成されたのだ。

 

しかしその反面、欲とは怖いもので彼女と歩いていても、「あの子に声かけたい」とかそういった欲が自分を駆り立てるのと感じられる。そういう時、彼女とか付き合うのって意味あるのか?という問いが頭に浮かぶ

 

非リアにありがちなのだが、付き合うとかめんどくさい、ということをいう。これは僕は持っていけない考えだと思っている。

というのも、自分もこういった考えをたびたび発言していた。

非リアの多くは自分の存在を真っ向から否定されるといてもたってもいられないのだ。

だから自分の恋愛経験のなさを肯定するために、付き合うという文化を否定したくてしょうがないのだ。

だが、今でも僕はこの恋愛至上主義の世の中はどこか狂っているかのように思う。

「え?彼女いないの?」このセリフは現代社会においてナイフ(笑)

恋愛してない=モテない。こういう風潮が世の中に存在し、学歴や経済力なんかよりも強いヒエラルキーを感じずにはいられない。

こんな世の中に非リアとして生きていたら、恋愛なんかするよりも適当にセックスしてたほうがいいですわ、と言いたくなるのも仕方がない。

だが、僕はあえて一度付き合う文化を受け入れる。なぜなら、セックスを武器に付き合うのを否定し続けることで、苦しむ自分の未来が見えるから。

 

また、いろいろ振り返るとあの子との関係はしっかり続けておけばよかったなぁ。とか思うこともある。初めは付き合いたい子とかもわからなかったのだから、大きな進歩だ。

 

何が言いたいかまとまらないけど、着実にいい方向に少しずつ向いている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログタイトルをくっそ寒いタイトルに変えてみた

こっちのがいい。自己満足。

 

前のブログタイトルで検索してもたどり着けるので問題ない。

誰も見てないからもしれないけど^^;